徳野英治・日本統一教会会長による「聖和の辞」(要約)

 10月10日(金)に執り行われた三宅真一郎さん(6500双)の「聖和式」で、主礼を務めた徳野英治・日本統一教会会長による「聖和の辞」の要約です。

日本統一教会 会長 徳野英治

 突然子女を失った父母の心情は、体験しない限り、本当の意味で実感し、理解することはできません。
 しかし心情を整理する上で、真の父母様(文鮮明師ご夫妻)のみ言を参考にして頂ければ幸いです。
 真の父母様が韓国のある大先輩の聖和(逝去)の報告を受けられた時に、「人間は早い、遅いの違いはあったとしても、いずれ霊界に行く。その宿命は何人も避けることができない。故に私たち自身も、自分自身の聖和に対して、また身近な家族の聖和に対して、いつでもそのような決定的な瞬間を迎えてもよいという、心の覚悟が常日頃から必要である」 と語られたと聞いています。 

 また2008年12月10日、ラスベガスでお父様(文鮮明師)が「実の子供を5人も、自分よりも先に霊界に送った親の気持ちが分かるか? それが先生の立場だよ。5人の真の子女の一人ひとりの聖和を、天の摂理を飛躍的に推進させるための清い聖なる供え物として受け取ってください。私は一切そのことを恨まず、感謝して子女を天に捧げます。このような祈りを捧げてきた先生である」 。このようなみ言を直接聞くことができました。

 お父様の2つのみ言を心に深く受け止めて頂き、この度の心情の十字架ともいうべき試練を、ご家族ともども助け合い、支え合いながら、どうか乗り越えて行って下さい。

 今日、拝読しました旧約聖書のヨブ記は大変有名です。神様はサタンを前にして、ヨブという人物はどんな大変なことがあっても、神に対する絶対信仰を捨てない。私に対する感謝の気持ちを忘れない男だ。人生を正しく生きてきた人物である、と自慢します。
 するとサタンは、「人間は自分の命が奪われるような、そんな試練に遭遇した場合には、思わず不満を述べたり、呪いの言葉が出たり、あるいは人に対して不満や恨みをぶつけたりする」。それで、神様はサタンに、ヨブを試練することを許します。

 サタンはヨブを撃ち、足の裏から頭のてっぺんまで、いやな腫物が全身に表れて、朝から晩まで悩み相当、苦しんだわけです。隣にいた妻は「こんな大変な目にあったんだから、あなたは神を恨んで死になさい」と言います。しかし、ヨブは「我々は神から、幸いも受けるのだから、災いをも受けるべきではないか」と言って、「ヨブはそのくちびるをもって罪を犯さなかった」と聖書にあります。この行動ゆえにヨブは、口と行動で罪を犯さなかった“義人”であると、キリスト教の世界では大変尊敬されています。

 私たちの人生は、幸運なこともあり、不幸なこともあります。恵まれることもあれば、恵まれないこともあります。
 問題は、恵まれた時には神様を賛美し、人に対し感謝を述べ、人に対し優しく愛をもって対しやすい。しかし、悲しいことに出会った時には、ついつい自らの運命というものに不満を持ちやすいのが、私たちです。

 しかし、私たちは目の前でどんなことが起きたとしても、それに深い神様の何らかの御意がある、何らかの意思があると受け止めながら、感謝し、甘受する。その姿勢が、大切であろうと私は思います。

 イエス様という方は、地上におられる時に、何度も「敵を愛せ」と言っておられましたが、自らが十字架の試練の絶頂でそのみ言を実践されたのです。
 文先生もそのご生涯は苦難の連続でありました。無実の罪で投獄され6度まで追いつめられるような苦難の路程を歩まれました。しかし、文先生は「振り返ってみれば、すべて愛であった」 という有名な言葉を残されております。

 このように、ヨブの信仰、イエス様の敵をも愛する愛。また文先生にみられる6度まで牢屋に入れられながら、それがすべて神の愛であった、というとらえ方。それを私たちは、学ぶことができます。

 さて、聖和された方の一番の願いは何であろうか、と考えてみると、聖和された4人の方の分まで、私たちが愛天、愛人、愛国を実践すること。言葉を換えれば、私たちが神様のために生き、人のために生きることを実践していくことによって、4人の方々の聖和を意味あるものにし、価値あるものにすることができると考えます。