フィリピンで430家庭伝道勝利したロペス氏の証し(後編)

 天暦閏月9月3日(陽暦10月26日)、韓国・清心平和ワールドセンターで「Vision2020 勝利! 神氏族的メシヤ使命完遂のための世界連合礼拝」が、約2万人が参加して盛大に挙行されました。ここで、430家庭を祝福に導いたタイのドクター・レック家庭とフィリピンのフランシス・ロペス家庭の模範的な伝道活動が称賛されましたが、今回は韓国の「トゥルー・ピース・マガジン」に掲載されたロペス家庭の証しを以下に紹介します(前編はこちら)。

 私たちはマリキナ市のいくつもの地域で定期的に訓読会を開き、誕生日など家族のイベントにも参加しました。また各家庭を訪問し、その家庭の為に祈祷を捧げました。そして、彼らに訓読会を勧め、『原理講論』を土台として作った1時間用の講義冊子のコピーを渡し、伝統についても教えました。「家庭盟誓」を配る活動も続けています。「家庭盟誓」をタガログ語に翻訳し、老人も理解できるよう心がけました。40日聖別期間は、私たちの地域で最も献身的に活動できる祝福家庭で構成された訪問チームを組み、祈祷の精誠をたてました。ほとんどのご主人が会社に勤め家を出ているので、まずはその奥さんたちを中心に精誠をたてました。

 ブロック別に訓読会の日程を作り、毎週、伝道対象者に真の父母様のみ言や聖書をコピーして渡し、勉強できるようにしました。毎朝、子供たちが登校するため、決まった時間に訓読会ができず、ほとんどの家庭は夜、寝床につく前に訓読会を行います。近所からの迫害で、否定的な考えを持つようになった家庭もあり、私たち夫婦は全てを肯定的に受け止め、彼らの心を解放してあげようと努めています。また愛する人たちのお墓参りをする日にちを決め、霊界にいる彼らの親戚が役事をしてくれるように祈りました。一度、ローランド・バスイル・ジュニア前協会長のお墓の前で、私たちの使命に役事して下さるようにと祈ったりもしました。

 私たちは教会本部で連合礼拝を行ったり、重要な集まりがあるときには必ず祝福家庭が参加できるよう最善を尽くしましたが、交通費が高いため、通常は地域のバランガイホールで日曜礼拝を行いました。三日行事を完了した夫婦が増えるたびに、その地域での活動も多くなり、さらに多くの人々を管理しなければならなくなりました。多大な責任を感じながらも、私たちの活動を積極的に支援してくれるバランガイの責任者がいるということは大きな祝福でした。彼らのうち何人かは、私たち夫婦に月曜日の国旗掲揚式や、他のバランガイのイベントでの祈祷を頼むこともありました。

市民指導者の支援の重要性
 私たちは神氏族的メシヤ活動地域のバランガイ責任者、および若い指導者と友好的な関係を結びました。私たちの氏族の多くの夫婦が、真の父母様の心情を深く理解できないにもかかわらず、短い期間の教育だけで真の父母様をメシヤとして受け入れました。それは持続的な教育のお陰でした。祝福家庭には更なる原理教育が必要で、彼らに対する教育をずっと続けています。祈祷と訓読の精誠をたてることも止めませんでした。新しく祝福を受けた家庭には、伝道活動についての責任と権限を与えました。彼らが心情的に真の父母様に侍ることができるよう世話をし、今後、神氏族的メシヤとして成長できるよう導くことが、私たちの家庭の重要な責任です。

 今後、マリキナ市の神氏族的メシヤは、最近、ホームグループ修練会を終えた新しい家庭を教育しなければなりません。2013年のアラネタコロセウムと2014年のアンティポロ市のイナレスセンターで行われた祝福式に参加した全ての家庭を、各地域においてチームとして構成する予定です。私たちは訪問と訓読会の計画を立てています。9月にはマリキナ市の中心地に神氏族的メシヤセンターが新しくオープンしました。このセンターで、新規の祝福家庭を対象に日曜礼拝が行われ始め、少なくとも月に一度は本部教会での礼拝に参加します。

 私たちの家庭生活は恵まれています。小さな家に住んでいますが、神様が祝福して下さり、私たちを支えてくれるギャップ家庭などの神氏族的メシヤのお陰で、多くの家庭を教育し講義ができる、大きなセンターをオープンすることができました。他の神氏族的メシヤも色々と私たちを支えようと努力して下さっています。現在の目標は、私たちの地域の神氏族的メシヤが、430家庭の伝道目標を達成できるようサポートしながら、私たちが伝道した430家庭への教育をすすめることです。

 430家庭祝福の目標を達成するため、私たちには次のようなモットーがあります。
 「人々に会えばひたすら愛し、希望を与え、抱擁し、投入し、原理を教育することだけを考える。真の父母様が教えて下さった通りに、私たちの人格と個性で他の人々を感動させ、変えていかなければならない。私たちが常に真の愛を実践できる心情の革命が必要である