「基元節2周年記念公募」優秀作品の紹介(「証し文」最優秀賞)

 「基元節2周年記念公募」として、昨年12月末から今年2月初めまで「祈祷文」「証し文」「詩」「フォトムービー」「歌」を募集しました。先号に引き続き、今回は「証し文」の優秀作品を紹介します。最優秀賞は樺木野貴子(鹿児島教区霧島教会)さん、優秀賞は、申萬浩さん(島根教区浜田教会)、栗原幸二さん(北千葉教区松戸教会)、溝口義一さん(奈良教区大和郡山教会)の3人が選ばれましたが、紙面の関係上、最優秀賞の樺木野さんと優秀賞の栗原さんの作品を紹介します(他の2人の作品は、統一教会公式ホームページに掲載)。

「証し文」最優秀賞

小さな1人を通して役事される天の父母様と天地人真の父母様

鹿児島教区 霧島教会 樺木野 貴子

 栄光在天
 私は、1980年4月に18才で導かれ、6500双家庭として、主人と4人の子女に恵まれ、35年近くの信仰生活を歩ませていただいています。
 天地人真の父母様を通して、本当にたくさんの愛を受け、特に、献身的に歩んだ生活の中での体験や出会いや学び全てが私の人生の宝物ですが、それらを私個人の記憶の中だけに留めておくのは、申し訳ないと感じ、私の信仰の大きな礎となった出来事の一つを、今回、証しさせていただく決意をしました。

 福岡県で歩んでいた1983年夏の事です。私が死守していた事の一つは、どんな建物も、手間を惜しまずに訪ねる事でした。天と因縁を結ばせようと、必死にその瞬間を待ち望んで来られた、天地人真の父母様の心情を思うと、誰一人、見逃す事は出来ず、我が子を失った親の切実な心情を思うと、食べる時間もトイレに行く時間も惜しくて、早朝から深夜まで、ほとんど飲まず食わずで、真夏の福岡を歩み続けていました。天から任された今日の御旨を全う出来るなら、明日、死んでもかまわないと思っていました。

 ある日の私の任地は、福岡の緑豊かな田舎でした。歩んでいると、川の向こうの人里離れた場所に、何か建物がある事に気づき、向かいました。近づくと、テニスコートの隣に民家があり、チャイムを鳴らすと、出てきたのは、白人の50~60代の女性でした。彼女は、夫婦で20年も前から福岡に宣教に来ている米国人でした。「宣教師だから」と、丁重に断られましたが、私は「この方達が、別の形で、神様と真の父母様に、いつの日か、必ずつながる道が出来ますように…」と、心からの祈りを捧げて、その地を後にしました。

 私は、隠れキリシタンの子孫らしいのですが、幼い頃から聖書とイエス様を大切にしていたので、既成教会の方に出会うと嬉しくて、いつの日か彼らの精誠が実り、メシヤである天地人真の父母様につながって欲しいと、必ずお祈りを捧げていました。

 「神のなさる業は時にかなって美しい」と聖書にありますが、それから1ヶ月後、私は、宣教師として渡米し、米国内は、北はノースダコタから、南はヒューストンまで、前線で歩みました。

 ある日、私は1人の姉妹と「囲い込み」という方法で互いにはぐれないようにして、民家を一軒一軒訪問していました。その日、私は時計回りに訪問していく事になりました。
 すると数件目のお宅で「コンニチハ!」と声をかけられました。若い白人女性でした。
 驚いて、日本語が話せる理由を尋ねると、室内に招いてくれました。そして、彼女の口から出た言葉に、私はとても驚きました。

 「私の両親は、日本の福岡で、20年間、宣教師をしています」
 まさかと思い、まだ上手くない英語で、周辺が緑に囲まれ、川があり、隣にはテニスコートがあるか、尋ねました。すると、その通りだと言うのです! まさに、私が数ヶ月前に福岡で出会った、米国人宣教師の娘さんだったのです。天地人真の父母様は、その宣教師の精誠と、私の祈りを覚えてくださって、遠く1万キロ以上離れた米国の地で、私をその娘さんの所に送ってくださったのです。そして、その娘さんは、横にいた幼い息子さんの為に、私が募金活動のために持っていたパペットを、快く受け取り、募金をしてくれたのでした。

 私は、この出会いを通して、私達食口が出会う人々は、全て天に記憶されているし、私達の祈りはちゃんと聞かれているのだと確信しました。私達には、偶然の出会いも、不要の出会いもなく、私達が窓口となって、全ての人を天につなげてほしいと、天地人真の父母様は悲痛な思いで見つめていらっしゃるのだと思います。

 この証しを書かせていただく事を通して、私に初心に帰りなさいと、天地人真の父母様が言われているように感じています。
 天の父母様と天地人真の父母様と真の子女様に、言葉に表しきれないほどの感謝と敬意を込めて、終わりとさせていただきます。ありがとうございました。

「基元節2周年記念公募」優秀作品の紹介(「証し文」優秀賞)