み旨と青春(3) ~み言への絶対的確信が勇気の源~

統一教会の草創期、天のみ言に触れて、燃えるような情熱で天のみ旨に投入して、今日の教会の基盤を築いた先輩たち。彼らの青春を紹介します。

阿部公子(777双)

すべては、神様が準備してくださった
 私は、第1 回春季40日開拓伝道(1964年4 ~ 5 月)を徳島で歩みました。
 生まれて初めての7 日断食を終えて間もない頃です。道を歩いていると、電柱に貼られたポスターにとても引き付けられました。徳島市教育委員会主催の青少年問題に関する集会の案内で、近くの公民館でちょうど開かれていました。

 「ここで天が呼んでいる!」と直感した私は会場に駆けつけました。参加者は50 人くらいで、後から分かりましたが、教育委員たちでした。
 窓の外から議論に耳を傾けていると、問題提起ばかりで何の解決策も出されません。私は「み言を伝えたい」と居ても立っても居られず、窓から手を振り合図を送っていると、一人の男性が気づきました。最初の40 日開拓伝道でみ言を聞いた、徳島最大の商店街の会長でした。

 「私に10分間ください!」と迫る私に会長は根負けし、話ができるように取りはからってくれ
ました。
 私は登壇し、「すべてを解決する真理を持ってやって来ました!」と宣言。「序論」の内容を語って、最後に「『創造原理』『堕落論』『復帰原理』と続きがあるので、ぜひ聞いてください」と締めくくりました。予定を大幅にオーバーして30 分たっていました。

 話を終えると、私の前に15人くらいが列を作り、名刺を渡しながら口々に「ぜひ続きを聞きたい」と言ってきました。会社社長や徳島大学教授など地元の名士たちでした。
 私は興奮を抑えきれないまま会場を後にし、名刺を握りしめ、涙をポロポロ流しながら伝道所として間借りしていた一軒家に戻りました。

 そして、大家のおばあさんに声が聞こえないように、押し入れの布団をかぶってワンワン泣きながら祈ったのです。
 「天のお父様、義人と出会いました。この人たちを徳島のため、日本のために必ず立たせてみせます!」
 気がつくと3 時間たっていました。

 その翌日、伝道所の前に1台の高級車が止まっているではありませんか。
 前日集会に参加していた徳島新聞販売店の社長です。そのまま、会社に案内されました。
 会社では、到着するやいなや役員方に歓迎され、社長は「きのうと同じ話を伝えてほしい」と言われたので、「序論」を語りました。すると「明日の昼休みから社員たちにも語ってほしい」と願われ、その翌日に講義をはじめました。   

 そして、販売所になっている息子さんの家に案内されて、「ここに看板を出して、教会として使っていい」と言われ、受講者が絶えませんでした。
 この社長は1965 年、真のお父様がご来日されて、四国・高松の聖地決定の際には、ご巡回に侍ってくれたのです!