み旨と青春(5) ~共産主義の誤りを痛感、み旨の道に献身~

統一教会の草創期、天のみ言に触れて、燃えるような情熱で天のみ旨に投入して、今日の教会の基盤を築いた先輩たち。彼らの青春を紹介します。

林三男(777双)

 私は、1963年10月、静岡大学3年の時に復帰されました。
 当時の左翼運動が激しい時に、山岳部に所属しながら、自分自身で聖書を真理の書として
研究していました。
 大学では、地質学を専攻し、今問題になっている地震も研究して、伊豆半島では何十日も山に入り地質調査をしていました。更に、「空飛ぶ円盤」も研究していて、宇宙意識を大切にする考え方をしていたのです。

 また、教会を限定しないで、キリスト教会にも通っていました。神の存在を確信して、やがて10人ほどで「真理探求会」を立ち上げ、クラスのメンバーと議論しました。

 大学2年の頃、1960年安保騒動(日米安全保障条約反対運動)で多くの学生が共産主義に走る中、全学連(左翼学生組織)の集会に意を決して単身で乗り込んだ時の事です。
 「共産主義は、間違っている」「神は死んだというのは、間違いだ」と叫ぶと、「林は、死ね。気ちがいだ」と糾弾されましたが、めげずに訴え続けました。

 その1ヶ月後、自主参加の講演会に応募して、10分間「人間は、全て天才だ。神から才能をいただいているのだ。私も天才だ」と弁論すると、聴衆は大爆笑しました。その次の日、「林は、気ちがいか、天才か」と学内で話題になり、ついに教授会にもかけられてしまったのです。

 大学3年の夏に、西川勝先生の講演会が、静岡市で開催され参加しました。
 元々、共産主義は間違っていると理論的には、分かっていましたが、西川勝先生の話で、その間違いが肌身にしみて実感しました。思想的に分別され、ますます確信を深めました。

 その後、その講演会に参加していた島田嘉則さん(777 双)が、熱心に下宿に訪ねてくれて、案内された狭い4畳半の部屋の開拓伝道所で連続して原理講義を聞き、更に特別修練会(9・10期)に参加後に入教しました。
 以降、4年進級時に休学して、献身的に歩むようになり、今日に至っています。

 四国開拓では高知が任地で、なかなか伝道所が定まらず、蚊に刺されながら夜は駅のベンチで野宿をしました。風呂も入れず、洗濯も出来ない中で、生まれて始めて、戸惑いつつも恒例のリヤカーを引きながら戸別訪問をして、家庭からの「廃品回収」に取り組み、活動費を捻出して路傍での伝道に励みました。
 当時は、この廃品回収を皆で「天職」と呼んで、地上天国を作ろうと頑張って取り組んでおりました。