み旨と青春(7) ~神霊に導かれた開拓伝道~

統一教会の草創期、天のみ言に触れて、燃えるような情熱で天のみ旨に投入して、今日の教会の基盤を築いた先輩たち。彼らの青春を紹介します。

堀展賢(12双)

京都開拓

 今から49年前の夏、東京オリンピックが開催された年の5月に入教した私は、その年の7月20日からの40日開拓伝道に志願し京都に降り立ちました。この地は、既に「霊の親」の桜井夫人など先人達が、多くの精誠を積み、多くの涙を流した地でもあったのです。

 毎日、早朝祈祷から始まり、訪問伝道と路傍伝道に明け暮れ、40日間、沢山の人に原理講義をしました。終盤に近づき、京都大学が最後の砦であった事に気づかされました。大学構内で、一大決心をして大声でみ言を宣布しました。構内で万感の思いを込めて天が準備した人に会いたいと叫んだ時、つかつかと近寄って来た学生が、後に同じ12双の祝福を受けた阿部正寿氏でした。神霊が働くことが出来る原理・真理を大胆に語る以外に何も出来ませんでしたが、23年の人生と神を知ってからの数ヶ月、全てを投げ打ってみ旨に捧げた精誠が、吸引力となったものと思われます。

岡山開拓

 その翌年は岡山開拓伝道でした。現地到着後3日間、河岸に密生した葦を切る旭川の測量の仕事につきました。それは10人いても3日後には、2人だけになる程きつい仕事でした。残ってやり通した私達を見て、そこの女性事務員が感動、最初の受講者となりました。

 力任せに伝道を始めましたが、次第に霊的に枯渇し、肉体的にも頭痛に苛まされ、ようやく自分の限界を知りました。そこで自分に出来る最後の手段として旭川の近くに決めた聖地で40日祈ることにしました。毎朝聖歌を歌い、岡山大学に原理研究会を設立する事と学園祭で講演会を開くことを神に祈りました。その結果、東大卒の学部長が講演、40人の集会を持つことが出来ました。3人の岡大生と顧問教授が与えられ、岡山大学原理研究会が設立。私が最大限の努力をしても出来ない成果が、ただ40日祈る中で天によってもたらされたのでした。宇宙創造の神が、小さな私の祈りに応えて下さったという実感を得て、神の子となっていくとは、こういう事だったのかと初めて喜びと自信が湧いてきました。

 4ヶ月後、東大原研で歩むこととなり、駒場祭で後に43双になる野村健二先生に再会した時、以前の私とは余りに違った姿を見て、神の実在を信じて下さり導かれました。岡大原研からは数人が復帰され、最後に、小林久惠夫人が立ち、その後逸材が導かれました。神霊と真理は、このように生きて働くものだと悟らされた開拓伝道でした。