私の出会った文先生 ~お父様を日本語から解放させてあげたい一心で語学学ぶ~

茂木福美(6000双)

 「アジョマ オヌナラ サラミヤ」(おばさん! どこの国の人)2009年4月当時、水澤里修練所で行われていた宣布教育(当時本体論)の訓読会の時間に、訓読することになった私にお父様(文鮮明師)が、突然大きな声でそう問いかけられました。

 私は、咄嗟に「ネ、イルボンサラミエヨ」(はい、日本人です)。とハングルで答えました。
 韓国人と思ってハングルで問われたのなら「ネ、ハングックサラミエヨ」(はい、韓国人です)と答えたのでしょうが、日本人の私が韓国語の問いにハングルで答えたので、意外と思われたのか一瞬沈黙がありましたが、その後は何も仰らず、そのまま日本語で訓読を終えました。

 修練会の間は通訳をしましたが、「お父様がなぜ、そう聞かれたのか?」「韓国語で問いかけられたのは韓国人と思われたからだろうか?」今となっては確認する術もありませんが、その時なぜ「はい。天一国人です」と答えられなかったかと悔いが残っています。なぜなら以前6000双の祝福の時に「あなた達は、霊界に行って日本人になりたいの? 天国人になりたいの?」と語られ、また「君たちの国籍は天国にあるんだよ。今住んでいる国はただの現住所にすぎないよ」と、日本人だ、韓国人だと言う事を越えねばならないと強調されていたからです。

 私は、1977年にみ旨で30人の姉妹たちと一緒に6ヶ月間、韓国舞踊を習いに韓国で生活したことがあります。その時、舞踊を習う事も重要だったけど、それ以上に韓国語を習うことの重要性を学びました。それは、ある衝撃的な出来事があったからですが、とにかくお父様のみ言を韓国語で理解したいと強烈に思い、大胆にも、お父様が日本語を語らなくても良い位韓国語をマスターして、「お父様を日本語から解放して差し上げたい」というのがハングルを学ぶ動機となりました。

 以来、私は韓国語に狂ったように日本に戻ってからも、「これは私の責任分担。誰も責任を持ってくれない」と割り切って路程中でも月2回の韓国映画を勉強のためと見に通っていました。当時、相当の異端児だったのかもしれません。しかし、その時、真剣にそう思って勉強していなかったら、修練会の通訳などは出来なかったと思います。独学で学んだので、正確さに欠ける部分もあると思いますが、語る方の心情を伝えることに努めてきました。以前お母様(韓鶴子総裁)の前で、ある方が私の通訳を褒めて下さったことがありました。

 その時お母様が「人を感動させられる事は良い事よ」と言って下さいました。私はその言葉を肝に銘じて父母の言葉を学ぶことを通して、韓日が真の父母の国となれることを願っています。