み旨と青春(8) 「世界のためにすべてを捧げる者以外、出ていけ!」

統一教会の草創期、天のみ言に触れて、燃えるような情熱で天のみ旨に投入して、今日の教会の基盤を築いた先輩たち。彼らの青春を紹介します。

梅本憲二(777双)

 私は、1963年11月3日の入教です。
 工業高校2年の頃、人生論の研究をしていました。4大聖人ではイエスについて学ぶのが手っ取り早いと思い、ラジオで聖書講座を受講し、通学途中にあった日本基督教団(日基)の教会を自ら訪ねました。

 一方、高校では聖書研究会に所属しながら、学校近くの福音主義の教会にも通い、異言や癒しなどを通して聖霊による生きた信仰を学びました。

 高校を卒業してからは、大手電器メーカーに就職。卒業後すぐ受洗しましたが、キリスト教の「救い」とは何かを探究する中で、『キリスト者の標準』(ウオッチマン・ニー著)という福音派の本に出合いました。その本を通して救いを確信し、救われた喜びに満たされました。

 牧師になりたいと思って福音派牧師に相談すると、「牧師になるためには、神からの声(召命)が必要だ」と一喝されました。その頃は、一つの聖句に触れるだけで、聖霊に満たされ涙が溢れ出てくるという経験を何度もしていました。
 そうした中で、弟を日基に導きました。すると間もなくして、弟が大阪・天王寺の路傍で統一教会に導かれたのです。

 実は、私も通勤の途中、難波で松本ママ(松本道子執事)の路傍伝道を見ていましたが、「現代は聖書の終末、仏教の末法の時代」との横断幕を見て、避けて通っていました。聖書と仏典を同等にみなし、「ひどい異端だ」と思ったからです。

 21日修練会に参加した弟を救うため、3日間会社を休んで弟から原理を聞きました。「メシヤが来ている」との内容にショックを受け、真相を見極めるべく統一教会を訪ねました。
 そこで松本ママから原理講義を聞いたのですが、「再臨主は雲に乗ってくるでは」との私の問いに、ママは半分あきらめ顔で「エリヤもヨハネの名で生まれて来ましたからね」と捨てゼリフ。私は内心はっとして納得し、とことん追求してみようと考えました。

 1963年11月の21修(特修10期)に参加。受講中も、隠れながらイエスに「本当に原理は正しいか、神かサタンか」と祈りました。
 修練会の3日目は、西川勝先生の礼拝で、ほんとうに強烈な内容でした。
 「自分が豊かになりたいとか、統一教会に何かして欲しいとか、ご利益を求める者は必要ない。世のため、未来のために全てを捧げたいと思う者以外は、出ていけ!」
 この言葉はサタンだったら言えないはずだと思い、原理はまさしく神から来たものと確信して、献身的に歩むことを決意。翌64年4月5日に、弟と同時に歩み始めたのです。

 以来、奈良、福島、京都、北海道などで開拓伝道に励み、様々な訓練を受けました。
 多感な青年時代に入教した当初の経験が励みとなって今日に至っております。