み旨と青春(10) ~蕩減条件の素晴らしさを痛感~

統一教会の草創期、天のみ言に触れて、燃えるような情熱で天のみ旨に投入して、今日の教会の基盤を築いた先輩たち。彼らの青春を紹介します。

冨田文雄(777双)

 私は鹿児島大学3年の終わりに、原理に出合いました。間違ったことが大嫌いな性格で、姉は熱心なカトリック信者でした。

 1967年3月、大学卒業後に献身的に歩むようになり、22歳の時、北九州市小倉区(当時)に夏期開拓伝道を任じられました。当時は布教所がありましたが、全員(2~3人)が親の反対等で離教、アパートだけが残されました。

 先ず、片道切符で小倉に到着。閉鎖された布教所のドアを開けると、玄関の土間に蛇がとぐろを巻いていました。象徴的に伝道所がサタンに奪われてしまったことを示していました。アモス書にあるごとく、天の父母様(神様)は自然や夢等を通して、「神はすべてのことを示してなさる」ことを悟りました。

 聖塩で玄関、館を聖別して再復帰を決意。朝は毎日聖地祈祷、午前中は廃品回収をして活動資金を集めました。廃品の中からビン等、酒屋で高く買ってくれる物は酒屋で換金しました。良くて500円程度。食事に当てるお金が不足しましたので、サンドウィッチやパンの端を貰い、安い素麺もよく食べました。

 あとは直ぐに北九州の大学で伝道、夕方からは小倉駅前にあるデパートの前で路傍演説と街頭伝道をしました。
 ここで、1人の姉妹、共利陽子さんを伝道しました。熱心なクリスチャンで、はじめは原理講義に異論を唱えていましたが、早朝聖地祈祷、断食、徹夜祈祷等の条件を立てることで、少しずつ心を開き、毎日、会社の帰りに伝道所に来るようになりました。

 伝道では「蕩減条件」を立てることほど素晴らしい道がないことを実感しました。
 多くの兄弟は条件を立てて直ぐに結果が出ないと、神様が聞いて下さらなかったと考えますが、それは人間の勝手な思い込みです。天の父母様は時間・空間を超えていますので、立てた蕩減条件が数年先に実を結ぶことを良く経験します。

 私が伝道されたのは、「霊の親」が鹿児島大学に3人の基台を立てるための40日祈祷条件中、36日目くらいでした。その時は教会に行かず、関心も示しませんでしたが、3ヶ月後に人間の善悪問題で考えさせられ、自分で教会を訪ねて原理を聞きました。

 40日開拓では1人しか伝道できませんでしたが、若松区、八幡区、門司区、小倉区の伝道師が立てられた条件の上に、40日終了後、全国でお兄さんやお姉さんから伝道された北九州の大学の学生4人が小倉伝道所に入教、正式に北九州教会が認められ、私が教会長に任命されました。

 「蕩減条件ほど恐ろしいものは無い」というお父様(文鮮明師)のみ言を実感した開拓伝道でした。