み旨と青春(11) ~家族以上の強い絆で結ばれていた食口たち~

統一教会の草創期、天のみ言に触れて、燃えるような情熱で天のみ旨に投入して、今日の教会の基盤を築いた先輩たち。彼らの青春を紹介します。

東森 教(777双)

 1964年、「世界は一つ」を掲げた東京オリンピックの最中に3日間、「統一原理」を受講、閉会式の日にちょうど講義が終了しました。

 講師は桜井節子姉で、きらきら輝く瞳、情熱に燃えた涙ながらの講義は本当に素晴らしかったです。講義の内容に大変感動し、すぐにでも献身的に歩みたいと思うほどに燃えていたことを覚えています。
 また昼食時に、彼女の持参した弁当を二人で分けて食べましたが、質素な弁当ながら分けてくれる姿がとても自然だったのが印象的でした。

 実はその直前、早稲田大学3年生だった私は、学内の休講の教室で「序論」を受講、「その通りだ」と納得、「全てを知って実現する時が来た」との内容に奮い立ちました。一緒に受講した友人は反発していましたが、私は「もっと聞きたい」と、統一原理の講義所を自ら訪ねて受講したのです。

 それから4ヶ月ほど経った頃、学内で阿部千鶴子姉と尾脇準一郎兄に出会い、1965年3月に特別修練会に参加、ほどなく献身的に歩むようになりました。
 その際、学友の食口(教会員)たちが3日断食をしながら、なけなしのお金を捻出して集めたお金で、私のために聖書を買って送り出してくれたことは今でも忘れる事ができません。

 教会で歩むようになってすぐに新潟に異動。毎日、新潟の中心街の交差点で街頭伝道をしました。新潟大学の学生や高校生が多く導かれ、さらに彼らが次々と友人を連れて来て、小さな教会は毎日数十名の若者で溢れ、熱気に包まれていました。

 「行ってらっしゃい」「お帰りなさい」の掛け声で、食口同士が家族以上の強い絆で結ばれていました。その頃は、み言そのものを求める若者が実に多かった時代でした。

入教当時の時代背景
 入教当時は、早大内でも60年、70年安保闘争(日米安全保障条約反対運動)の嵐が吹き荒れ、左翼運動の全盛期でした。「世界連邦」にも関心があり、世界が一つになることを夢見ていました。
 一方で、高校時代の同級生が、生徒会で活躍した後、左翼活動家になり、凄惨な事件の首謀者となったことにショックを受けました。

 さらに、私の兄が人生の根本問題を考えて行き詰まり、自殺してしまったことにより、私自身も命がけで真理を求めていたのです。そこに、全ての問題解決の道が統一原理で示され、当然のことのように献身的に歩むことを決断、今日に至っております。

 2020年に行われる東京オリンピックと「ビジョン2020」の勝利を目指して、再び青年が立ち上がる時がやってきました。