私の出会った文先生 ~直接侍る中で見た精誠の生活~

阿部知行(777双)

 1980年秋、妻が訪韓した折に突然、真のお母様(韓鶴子総裁)が「日本の食口(教会員)夫婦が真の家庭に仕える時が来た」とおっしゃり、不足だらけの私たち夫婦が、その任にあたることになりました。今よりも韓国の人々が日本に対して厳しかった時のことです。

 短い文でお伝えしきれませんが、私がお側で見たお父様(文鮮明師)は、涙の祈りの方であり、また愛と許しの方でした。

 公館では、真の父母様(文鮮明師ご夫妻)の声がドア越しに、何かははっきりと分かりませんが、聞こえてくることがありました。祈りのような声、また英語を勉強しておられるような声、み言を読んでおられるような声などです。

 お父様は、「一瞬懸命」に生きられる方であり、また何事においてもよくよく準備される方であることを知りました。
 ご父母様のお部屋からはそうした声が午前1時、2時まで聞こえるので、侍る者としてはその前に眠ることができません。

 真の父母様に侍るということは本当に大変なことだと身をもって知りました。正直言って、心は嬉しいけれど、体がついていかず、私は日中ぶざまに大の字になり寝入っている姿を、お母様に見られる失態まで犯したこともあります。

 お母様は実に52年という長い間、お父様に付き添われました。本当にお母様も偉大な方です。
 お父様は愛と許しの方でしたが、特に日本の食口を愛されました。お父様は「愛は通ずるんだね。先生を慕っている兄弟姉妹が世界に大勢いることを知っている。先生の心はその兄弟姉妹の愛のあるところへ飛んでいくんだよ」と言って絶句され、顔を上げてどこか遠くを見つめながら涙を流され、「先生の心は飛ぶんだね。先生を求める者、先生を愛する者たちのところへ。日本の兄弟姉妹たちは先生のことを本当に愛している。だから先生はその人たちを思わざるを得ない」と語られたことを忘れることができません。私はそのような場面を何度も見聞きしました。

 またお父様は、献金にどれほど食口たちの精誠が込められているか分からないと言われ、ご自分の生活は本当に質素にされ、タオル1枚も粗末にされませんでした。

 お父様は、食口たちには本当に優しい方でしたが、指導者たちに対しては、時にはたいへん厳しく接しられ、お叱りになる時は歴史の重みを感じて思わず震えるほどでした。
 愛のお父様も、神様の願いと摂理の時に合わせるため、食口たちに大変な任務をどうしても与えなければならない時があります。お父様はその任を受ける食口たちのことを思われ、食口たちに発表される前、ご自分の部屋で涙を流し祈りに祈った上で、出て来られるのです。

 そのような時、真のお母様がどれほどお父様を慰め、励まされたことでしょうか。お母様は、お父様に優しくそっと寄り添って、手を握り合いながら出て来られ、本当にご自身ができる精一杯の努力をしておられました。
 

 そして、食口たちの前に立ったお父様は、堂々と天の威厳と権威をもって、語り続けられたのです。
 愛する者の心に飛んで行くとおっしゃったお父様は、聖和(逝去)されても、慕う私たちの心に飛んで来られるので、私たちはお父様の愛にお応えして、勝利していきましょう。