私の出会った文先生 「いかなる迫害も越えなさい!」

福井智也子(777双)

 私は、まだ小学校に入る前に人間は誰しも「死」を迎えること、それは永遠の別れであると知って母と別れるときが来るのではないかということが最大の不安と悩みとなりました。
 以来、無常観を感じながら法華経に慣れ親しみ過ごしてきました。

 その中で霊通するおばあさんから私の前世は尼さんであり、背後に宗教人がたくさんいると言われたことがありました。高校生の時には聖書に没頭しましたが、1966年、大学3年の終わりに「原理」に出合いました。幼い頃からの人生の悩みが一遍に解決された嬉しさは天にも昇る気持ちでした。死がすべてを分かつのではなくそれは永遠の人生の出発であるのですから、地上生活の意味が明確になったのです。

 原理に触れて、当然のように献身するのですが、その頃の我が家の経済事情は極貧状態でしたので、学生の私でも自分の学費くらいは働くというのが当然の状況でした。しかし学業ももはや色褪せ、一途に走りたいのです。当然家族の驚きと反対は強烈でした。ちょうど1967年お父様(文鮮明師)ご来日の時に合わせるかのように「反対父母の会」が立ち上げられ、何と私の父がその副会長になりました。

 当時、名古屋で歩んでおりましたが急遽本部に呼び出され、お父様より父親を説得して来なさい、と言われ家に行きました。しかし、それでも父とは決裂の状態でした。お父様は私の報告を聞いて下さり「そうか、これからは闘いなさい」とのお話でした。それは「いかなる迫害も越えなさい!」との激励のように聞こえました。

 それ以後、お父様は私の存在を心に刻んでくださったのでしょうか。1970年の祝福の時にもお部屋に伺った時に「親父は元気か?」と声をかけて下さったり、1982年、2075双の祝福のお手伝いに渡米した時、イーストガーデンにスタッフを呼んで下さり、記念として一人ひとりプログラムにお父様のサインをくださいました。私の名前は説明してもなかなか書けない人が多いのですが、お父様は私の顔を見るなり「智也子」と書いてくださったのです。

 み言の深いところもわからないのに、ひたすらに神を求め、父母を慕う幼い娘を愛おしく思ってくださったのではないかと父の愛情を今も忘れることができません。また、私の背後の先祖たちも主をお迎えするのにこぞって私を押し出したのだと思えてなりません。きっとお父様は霊界の動きも合わせてご覧になっていらっしゃるのだとなぜか強く思うのです。