李海玉先生のメッセージ ~「永遠なるふるさと」に至る道~

 このメッセージは7 月22 日、熊本教会で行われた「真のお父様聖和3周年40日精誠及び神氏族メシヤ勝利熊本教区特別集会」で、李海玉先生(宋龍天・全国祝福家庭総連合会総会長夫人)が語った内容を翻訳し、整理したものです。

 ここに来る途中、飛行機の中から熊本の景色を見たらとても美しかったですね。
 私はいつも説教の題目をつけませんが、今日は特別に「永遠なるふるさと」と題して話してみたいと思います。

 お父様は生前、釣りをたくさんされました。2000年前にイエス様も海辺で生活され、弟子たちの多くが漁夫でした。お父様が海に出て釣りをされたのは、自然における深い祈りの中から天の父母様と共感される時間を持たれていたのだと思います。

 私はある日、鮭のドキュメンタリーを見ました。鮭は成長すると、自分が生まれた故郷に戻るために、すべてのエネルギーを使って3000kmを超える距離を泳ぎ、生まれた川を溯っていきます。鮭がそこまでして自分の生命の危険をも顧みず、最後のエネルギーを使いながら自分の故郷に戻る、そのような聖なる本能はどこから来たのでしょうか。

 私たち人間は万物の霊長と言いますが、私たちが本性を忘れている姿を見るとき、私たちは果して動物より立派か、自然より優れているのかと考えさせられます。

 私たちはあまりにも貴いみ言を学んでいます。原理がなければ、私たちの本性が何かということも知らなかっただろうし、私たちが何を忘れ、何を探し求めているのか、私たちはどこから来てどこへ向かうのか、私たちに父母がいるのかいないのかといったことを知らずに、ただ孤児のように寂しいと思いながら、地上の生活を終えていたことでしょう。天の父母様に出会わなかったら、人間は孤独から解放される道がないのです。

 「人生は流浪する道(流浪者の道)である」という韓国の諺があります。多くの人がそのような心で生きていると思います。しかし、私たちが旅人のような生活をしたとしても、故郷がある人はそうでない人とは違います。故郷という目的地がある人は疲れを感じず、決して諦めることがありません。

 聖書の中で、イエス様がサマリアの女の話をしたところがあります。イエス様はこの女に「水を下さい」と言われました。女は「なぜユダヤ人のあなたが異邦人であるサマリアの女に水を下さいと言うのか」と聞きます。イエス様は「あなたが、私が誰かを知ったならば、私があなたに水を下さいと言う前に、あなたが私にまず水を下さいと言うはずです」、「あなたの水は乾くが、私の水は永遠に乾くことのない水である」と語られました。皆さんならこの意味が理解できるでしょう。

 今、教会では「伝道をしなさい」と言いますね。私たちがやることは伝道しかありません。伝道がなければ、何をして生きていくのでしょうか。
 私は宋総会長と何処に行っても、伝道の話ばかりします。例えば、バリスタの資格を取ってコーヒーショップをすれば人を伝道できるのではないか、というように。私たちはただ平信徒となって、神氏族メシヤの使命を果たしながら生きたいと思っています。神氏族メシヤの道を楽しく行ってほしいというのが私たちの願いです。

 イエス様を見れば、一つのヒントが与えられます。イエス様は生きているときは弟子を立てることができませんでしたが、復活された後は、弟子たちに会い、まず食べさせるようになさいました。弟子が魚を獲れなかった時、たくさんの魚を獲って下さったのです。

 お父様も訓読会のときには、いつも飴やチョコを下さり、歌や踊りをされました。イエス様とお父様の二人の主が、伝道の方法を見せて下さっています。
 問題は私たち食口がその通りにできていないということです。今から具体的な計画を立てて、「永遠なるふるさと」、天の父母様の前に行くことのできる道を考えていかなければなりません。

 私たちは永遠に生きることはできません。しかし、「死」というのは祝福です。死があるからこそ、私たちの生活は貴いし、意味あるものとなるのです。私たちが地上の生活を終えて天の父母様の前に行ったときに、何をプレゼントするのでしょうか。

 お父様が最後に下さった祝福の祈祷は、神氏族メシヤの使命を果たすことでした。そのために、皆さんの残された生活が毎日楽しく意味あるものとなる時、初めて私たちは幸せが何かということを経験することができます。何が幸せかを経験することで、天の父母様の前に行くことのできる資格が持てるのです。