「神氏族的メシヤ使命完遂決意集会」での文妍娥様のメッセージ(前編)

  11月17日、大阪教会に文妍娥様をお迎えし、第9地区の「神氏族的メシヤ使命完遂決意集会」が開催され、地元の教会員約900人が集まりました。その中で妍娥様は、途中で何度も涙を流されながら、真の父母様の心情圏や、真のご家庭の長男・文孝進様の嫁としてお母様に身近に侍る中で悟っていかれた内容を、率直かつ心情深く語られました。妍娥様のメッセージの“要約”を紹介します。

 皆さんにお会いできてうれしいのと同時に、自らの準備不足を感じ、本当に申し訳なく思います。どうぞ、私個人を見つめるのではなく、私を送ってくださった真のお母様を思いながら、私の話に耳を傾けて下さい。
 祝福二世である私は、いろいろな実績があるわけではありません。心情においても精誠においても、ここにおられるお姉さん方の前に私の立つ場はないと知っております。一つも誇らしいことはありません。
 そのような私なのですが、真の父母様の心をお伝えするために来た者として歓迎して下さったことに心から感謝申し上げます。

 大阪は、本当に孝進様との因縁が深い場所だということを改めて思い起こしました。孝進様の人生は波乱万丈でしたが、絶えず孝進様の為に精誠を尽くして下さった皆さんは、孝進様が霊界に行かれる前に、食口の前に再び立つことのできる最初の機会を与えてくださいました。もう一度皆様に感謝申し上げます。
 
(真のお父様のみ言の訓読:「精誠と愛」= 1996年1月5日、南米ウルグアイ・プンタデルエステ)

 このみ言を読んだ私は当初、「ああ、これは私たち子女たちに、このように生きろと教えたみ言だ」と考えていました。
 ところが、繰り返し訓読しながら、ご父母様についてもう一度考え、学び、研究してみると、このように語られるのは「お前たちは分からないといけない」というのではなく、ご父母様の歩み・人生がこうだったのであり、「私はこのような心で生きてきた」と告白するみ言であることに気づきました。

 「ご父母様はこのような心情だった。このように生きてこられた。私たちをこのように愛してこられた人生だった」という観点で見ると、そのみ言の一つ一つが本当に貴く、父母様と心情的により近づくことができたという思いになりました。
 真の父母様は、私たちになぜ「神氏族的メシヤの使命を果たしなさい」「430家庭を完成しなさい」と言われるのでしょうか。これは世の中を復帰し、ご父母様に栄光を帰するようにさせるためではありません。

 ご父母様は既に、この世の中の人類が行かなければならない道を開拓され、前に立って全てを開かれ、高速道路をひかれ、門を開けてくださいました。
 その上で、「子女には5%の責任分担があるので、ここを歩けばいい。天の父母様の子女として立とうとすれば、自ら行かなければならず、私がしたくてもできない。しかし、その道はあなたたちの為に全て開き、方法も教えておいた。そのまま進んでいこう」と言われるのです。その心は、私が行くことのできないその峠を越えてほしいという願いです。

 なぜ責任を果たされた真の父母様が、昼夜を問わず世界の為に心配をされるのか。大きな意味で真の父母様は、孤児のようにさまよう世界70億人類が心配だということはあります。
 しかし、摂理の草創期から一緒に苦労し、共に歩んできた一世の子女たちが、最後にその実りを手で摘み取るその収穫の日に、誰かの手によってそれを収穫されてしまうのは残念なことです。

 「あなたたちが責任を果たすことができるように、私もあなたたちの手を握りながら進んでいきたいので、天の前に道理を果たさなければならない。少なくとも天の父母様の為に、解放されてきた一つの基準を立てなければならない」というのがご父母様の心情なのです。だからこそご父母様はもう一度、「神氏族的メシヤ、430家庭の責任を果たさなければいけない」と語られたのだと思います。

 2012年にお父様が聖和されて以降、お母様が大変な重荷を背負われているということを誰もが認識していました。しかし、お母様が一日一日をどのように過ごしてこられたのか、私はそれを理解することができませんでした。聖和2周年を迎えるまで、気づいて差し上げることができなかったのです。

 私は、お母様が休まれる横で侍ったり、食事をとられるのも困難なお姿を見てきました。お母様は食口や指導者の前では強い堂々としたお姿でみ言を語られますが、背後でどれだけ苦悩しておられるかも知っていながら、それを流していました。お母様が何を決意され、どのように思っておられるかを私ははっきりと理解することができなかったのです。

 そのようにして2年が経ちました。お母様は多くのものを新しく始められ、そして絶え間なく続けておられます。
 正直に話すと、「お母様は何故こんなふうにされるのだろう」と疑問を持ちながら、「こうされたらいいのに」などと私の基準で評価したこともあります。

 当時の私たちは、お母様がされる内容に対し、「その通りです。私が最善を尽くして支えます。お母様、力を出してください。私はお母様がされることを信じます。そのまま進んでいきます」と思うことができずに、「これはどうしてだろう」と多くの疑問を抱いたのです。私はそうでした。本当に考えが浅かったのです。後編につづく)