子女を信じて厳しい道に送り出す父母の心情
このメッセージは、6月17日に宮崎台国際研修センター(川崎市)で行われた「第6地区霊肉合同93日特別精誠摂理決断式」で、李海玉先生(宋龍天・全国祝福家庭総連合会総会長夫人)が語った内容を翻訳し、要約したものです。
今日の出発式には、誰よりも宋龍天総会長が参加されたかったのですが、突然の予定のためにかないませんでした。昨日も電話で「体は行けないが、心はいつも6地区の食口達と一緒だよと必ず伝えておくれ」とおっしゃっていました。
先ほど「6数」の話が出たので数字の話をしてみます。真のお父様が(み言を語られながら)指で数字を数えられるお姿を皆さんも覚えているでしょう。ところが、(お父様が指で示される)法則を誰も理解することができないのです。私がビデオで何度見返しても、やはり分かりませんでした。私たちは本当に頭の足りない者たちです。そんなお父様に侍っていた私たちが、摂理を理解するのは不可能です。
私たちには、地上世界で起こることをすべて理解するのだけでも難しいのです。なぜ地震が起きるのか、科学的に説明すると言ったところで、まだ十分ではありません。
ましてや、霊界について理解することはもっと難しいのです。地上と霊界だけではなく、さらに心情世界もあります。心情世界というのは霊界とも異なり、十分に説明ができない世界です。
こんな複雑な世界全体に責任をもって歩まれたのがお父様です。真の父母様というのは統一教会だけの救世主ではありません。今まで父母様が摂理を進めてこられた内容を見つめると明らかなのは、父母様は統一教会だけのメシヤではないということです。
◇ ◇ ◇
真の父母様の路程を考えてみるとき、胸が痛い内容があります。私はキリスト教の出身ですが、キリスト教が文化的に根を下ろし、驚くべき影響力をもつように至ったのは、十字架があったからです。イエス様がもし十字架を担わなかったならば、十字架上でドラマチックに逝かれることがなかったならば、あれほど多くの人々を感動させることはできなかったでしょう。
「私の罪の故にイエス様はあのように血を流して逝かれた」という事実一つとってみても、人々は感動します。これがキリスト教徒になっていく道なのです。主の流された血の十字架を私も担うという心持ちで、数多くのキリスト教徒たちが殉教の道を歩みました。
私たちの真の父母様はどんなお姿なのでしょうか。私が統一教会に入って一番悩んで葛藤したのが、その点なのです。
イエス様はあのように十字架を担われましたが、私たちのお父様はサングラスをかけ、かっこいい服を着られ、立派な車に乗られ、立派な家に住んでおられました。「お父様は私が想像してきたメシヤとはイメージが違う。私はこれをどう受け止めるべきなのか」ということは、統一教会人としての私の宿題、信仰の挑戦でした。
1998年にブラジル・ジャルジンで理想家庭のためのセミナーがありました。そのときにお父様がくださったみ言の中に、「父母になると、子供から放たれる矢もすべて涙で耐え、子女から与えられる喜びだけを記憶していこうと考える。子女のためにすべてを犠牲にしていくのが父母の道だ」という内容がありました。
そんな中、実際に大変な事件がアメリカで起きたのです。(文孝進様の前夫人)H氏の事件です。テレビに出たり、本を出版したり、お父様に対する多くの非難を行いました。
お父様のそのみ言が、私の胸の奥に深く刻まれました。「人類の真の父母として来られた方は、肉身の十字架ではなく、心情の十字架を背負っていかれるのだ」ということを初めて深く悟らされたのです。
その瞬間から、お父様が全く別人に見えるようになりました。お父様はいつも孤独で寂しい方だと感じました。お父様が歌を歌われても、まるで泣いておられるかのように見えました。お父様の心情世界というものを感じさせて頂く契機となりました。
今は真のお母様も同じ道を歩んでおられます。多くのご子女様がおられますが、ある子女様から放たれる特別な心情の十字架(矢)を受け取っていかれるお母様なのです。
そのような父母様の痛みを目の当たりにしながら、私たちはどのようにして子女という名前を相続できるでしょうか。子女というのは、血統だけをもって受けるのではありません。世の中に数多くの子女たちがいますが、自分が生んだからと言って、子女たちの心情は分かりません。心情を理解し合うというのは簡単ではないのです。
本当の子女になるとは、心情の子女になるということです。天地人真の父母様が一生を通じて行かれた心情の十字架の道に少しだけでも同参しようという心情になるとき、「私が子女です」と天の前に言えるのではないでしょうか。
◇ ◇ ◇
私たちは今まで一生懸命走って来ましたが、まだ最終目的地には到達していません。最終目的地を知って向かう者は、どれほど大変で疲れたとしても、放棄することはできません。残された道があることを知っています。私たちが進めば進むほど、私たちの子孫達が行く道は短くなります。駅伝のように、私たちが苦労して行くならば、私たちの後を走る走者は少しでも早く、天の父母様と天地人真の父母様の心情の中に到達できるのです。
先ほど刑部徹第6地区長が私を「母」と呼びましたが、私は日本に来るのが怖かったのです。できるならば、日本に行くのを避けたかった心がありました。
アフリカでは、歌ってうまく踊れば、宣教ができるのです。一緒に歌って踊り、(手で太鼓を叩くように)リズムをとるだけで、いくらでも心で共感することができます。ところが日本は息がつまります。ですから日本に来たくはなかった。私は「母」の資格がない者です。
先日、ラスベガスに行ったときのことです。(日本人ではない)ある公職者の婦人がこう言いました。「私たちがもっと早く献金をしていれば、もっと早くピースパレスを奉献できていたのに」。
私はその言葉を聞いた瞬間、頭が狂いそうになりました。怒りがこみ上げたのです。そして涙を流し続けました。論理的に考える余裕がなく、聞いた瞬間、涙が溢れたのです。お金を使う者は、お金をつくる者の心を知ることができません。その言葉は間違っていないかもしれませんが、同意することができませんでした。
日本の食口達を悪く言う者があれば、「うちの子の苦労をどう思っているのだ」と、その人のお尻を蹴り上げてやりたい思いになります。そういう心情が沸くということは、少しくらいは母の資格があるということでしょうか。(拍手)
私たちの二人の息子はイギリスで、アルバイトを3つ、4つ掛け持ちをしながら、苦労をして勉強しています。食べている物を見ても、厳しい生活です。学費をためるために休学し、アルバイトをしてから復学する息子たちの姿を見るときに、母としてどれだけ助けたいと思うでしょうか。
ところが、夫は「絶対に助けるな。お金がなくて苦学してもいいのだ。助ける必要はない」と言われるのです。その件で、だいぶ夫とぶつかりました。
私たちが日本に来てから3年目に入りましたが、息子たちは父母を恨むことに疲れたのでしょう、だんだんと理解する段階に入ってきました。
今回、少し会えたのですが、末っ子がこんなことを言いました。「本当にありがとう。お父さん、お母さんが私を信じてくれた。『お前ならやれる』と信じてくれたから、休学して魚を扱う会社で働くことが許されました。私を憎んでそうしたのではないということを悟りました」。そして、彼は「祝福を受ける準備ができました。一人の女性に責任を持つ準備ができたようです」と言うのです。参考までに彼は22歳です。(拍手)
短い期間に息子が成長できたことは、私としてはある意味驚きでした。その背後には、「お前ならやれる」と信じてあげたことがありました。本当に死ぬほどの苦労をしたのかもしれませんが、その段階を上らせることができました。
日本の食口を思ったときに、とても胸が痛みます。しかし天は「この母の国の優秀な食口たちはやれるのだ。これが難しいことは百も承知だが、それを通して私の心情を理解し、私の子女であるという資格を持つことができる。そのレベルまで中断することなく、失敗することなく来てくれるということを私は信じている」と見守っておられるのです。父母の信頼がなければ、子女は成長することができません。辛く厳しい道であることは分かっていても、父母は子女がやり切ってくれることを信じて、送り出すのです。そうしなかったら、体は大きく成長するとしても、心は決して成熟しないでしょう。
真の父母様のそのような大きな信頼があるので、日本を母の国として定められ、母であるという資格を持たせるために、辛い思いをもちながらもなお信じてくださるのです。そうすることで、母の国・日本を世界に誇りたい真の父母様なのです。
私たちの心を天上のお父様と地上のお母様の心とぴったりと一致させて進んで行くならば、どんなことがあっても寂しくありません。必ず勝利を収めることができるのです。