「日本を愛しなさい、先生以上に愛しなさい」
本年1月28日(陽暦)で、真の父母様のご来日50周年を迎えました。1960年にご聖婚式を挙げられ、真の父母として初めて来日された記念すべき日です。
1958年に崔奉春(日本名、西川勝)先生が日本で宣教を始めてから7年目の65年1月28日、東京国際空港(羽田空港)には真のお父様に一目お会いしようと、日本の食口約200人が駆けつけていました。真のお父様が搭乗された飛行機は午後5時20分に空港に到着。機体からタラップへと出て来られた真のお父様は、食口たちに向かって手を振られながら、日本の地に足を踏み入れられました。真の父母様は、世界40カ国120カ所に聖地を定めるための第一次世界巡回路程の最初の訪問国として来日、東京・名古屋・大阪・高松・広島・福岡・札幌・仙台の8カ所で聖地を決定され、2月12日に米国へと向かわれました。
日本で統一教会の最初の礼拝が行われたのは1959年10月2日(日本統一教会創立記念日)、東京都新宿区の「雄鶏舎」という時計屋の二階でした。その時の礼拝参加者は崔宣教師を入れて4人。その後、伝道が進み、62年12月には全国9カ所の地区に教会が設立され、各地区の教会長が任命されました。64年7月15日には、世界基督教統一神霊協会(初代会長・久保木修己)が宗教法人として認証され、同年11月1日、本部教会が渋谷区の南平台におかれました。
本部教会で歓迎礼拝
そして65年1月28日、真の父母様の初めてのご来日となりました。空港で入国手続きを済まされた真のお父様と、崔元福先生、金永雲先生のご一行は、関係者の車に乗られ、本部教会へと向かわれました。
本部教会には、礼拝堂に入りきれず、玄関、廊下にまで満ち溢れた食口約250人が聖歌を讃美する中、真の父母様ご一行が礼拝堂へと入られ、28日午後8時から「歓迎礼拝」が行われました。
真のお父様の日本で初めての説教の題目は「神の目的と我々の目的」。当時は、お父様の日本語が堪能であることを知らなかった食口も多く、約2時間にわたりお父様が日本語で語られ、さらに日本についてとても良くご存じだったということに食口たちは大きな感動を覚えました。お父様の説教を通して食口たちは深い愛に満たされ、本部教会は感激の涙に溢れたのです。
三橋さんとの劇的な再会
またこの日、真のお父様は石井トミ子夫人(第6代日本統一教会会長夫人、当時は旧姓阿部)に、「先生が下宿していたところに行ってみたい」と言われ、石井夫人が「なんという方ですか」と聞いたら、「三橋」と紙に書かれたということです。
真のお父様が1941年から43年の日本留学時代に下宿されていた三橋孝蔵・イトさん宅のことです。お父様は早稲田大学附属早稲田高等工学校で学ばれ卒業されましたが、その頃の日本は、下宿を探しても、朝鮮人ということで門前払いされることが多く、民族的差別を受けていた時代でした。そうした中で、三橋さんは「とても良くしてくれた。田舎に行って草餅をもらって来てみんなに平等に分けてくれた」と石井夫人にその時、三橋さんの思い出を懐かしそうに話されたそうです。
1月29日、真のお父様は学生時代の下宿先であった三橋宅を長時間かけて捜されました。下宿していた当時と街並みが大きく変わっていましたが、お父様は一生懸命に三橋宅を探され、21年ぶりに三橋イトさんと劇的な再会を果たされたのです。
その日の午後7時30分からは本部教会で、統一旗の授与式が行われ、その後、和動会が持たれました。午後11 時半を過ぎたころ、お父様は統一旗マーク入りのハンカチを出席者全員に配られ、続いて翌日の午前4時までみ言を語られました。
東京に日本最初の聖地を決定
1月31日早朝には、明治神宮を訪ねられ、日本で最初となる東京の聖地を決定されました。またこの日、真のお父様は日本で初めて聖日礼拝を主管し、「イエス様の最期と我々の覚悟」という題目で、4時間を超す説教をされました。
その中でお父様は、「日本全国ができないことをやれば、日本を救うと言うんですね。世界すべての、人類のできないことを、この日本国民が先立ってやれば、世界をリードするその国民になると言うんですね。…だから日本を愛しなさい。先生より以上愛しなさい。世界を先生より以上に愛しなさい。天の父を先生より以上愛しなさい」と強調されました。
(後編につづく)