3 月11 日で東日本大震災の発生から5 年を迎えました。震災を契機に発足した家庭連合平和ボランティア隊(UPeace)は、家庭連合の青年・学生たちで構成され、真の父母様の「他のために生きよ」という教えを実践しながら、被災地でのボランティア活動を継続してきました。(UPeace キャプテン 加藤善斐徒)
震災発生と復興支援の開始
2011 年3 月11 日午後2 時46 分18 秒に発生した東日本大震災は、日本での観測史上最大規模(マグニチュード9.0)の地震でした。その影響で、津波や火災、原発事故、停電、液状化現象など多岐にわたる被害が発生し、死者・行方不明者は1 万8 千人以上、全壊又は半壊した建物は約40 万戸に上りました。
被災地では、消防や警察、自衛隊、自治体、NPO などが復興に向けて様々な支援を進める中、家庭連合も災害ボランティアチームとしてUPeace を結成、今日まで復興支援活動に携わってきました。
東北被災地へ123 陣まで派遣
2011 年3 月23 日にボランティアチームの第1 陣が被災地に派遣されました。2016 年3 月15 日現在、東北へのチーム派遣は第123 陣まで終了し、参加者は累
計で2000 人以上に達します。教会の青年たちが主体ですが、中高生や壮年のメンバーも参加してきました。また海外からも、ヨーロッパの原理研究会(CARP)メンバーや、アメリカの青年メンバーなども加わりました。
2013 年からは、東北以外の災害ボランティアの取り組みもスタート。13 年から14 年にかけては、伊豆大島の台風被害支援を実施し、14 年には広島の土砂災害支援、15 年には茨城・栃木の大雨洪水被害支援を行いました。
ニーズに合わせたボランティア活動
震災直後の活動内容は、がれきの撤去や泥出し、側溝掃除、家財道具の運搬などの片付け作業がメインでした。
がれきの撤去が落ち着いてくると、次は公園や集会所作り、田畑の再生、引っ越しの手伝い、被災した場所の清掃活動など、生活再建のための活動に変化していきました。
さらに農業支援や漁業支援、イベントの手伝い、支援物資の整理など、その地域のニーズに合わせた活動を実施。地域によっては、鮮鶴合唱団やWYC(東京の青年による聖歌隊)によるコンサート、天父報恩鼓の公演などの慰問活動も行っています。
活動する地域によって活動内容は様々です。これまでの活動場所は、累計で600 カ所以上に達します。
復興の進度に地域差も
被災地は、どの地域も復興に向けて力強く前進していますが、その一方で復興の進度に地域差が生じていることも事実です。
例えば、がれきが片付いて更地になった地域もあれば、再開発事業で駅や鉄道が整備され、新しい街ができ始めている地域もあります。一方で、福島第一原子力発電所周辺のように震災直後の光景がそのまま残っている場所もあります。
全体としては、一部の地域を除いて震災前の状態に少しずつ戻ってきています。
震災記憶の風化を懸念する声
現地の人から話を聞く中で、ここ1~ 2 年で多いと感じるのは、震災の記憶が風化することを心配する声です。
「街が復興するのを見ると安心しますが、それと同時に風化も進んでいるように感じるのが不安で、複雑な心境になります」「被災していない地域の人と話すとき、震災に対する意識の差が、自分(被災者)と比べてますます拡大しているように感じ、寂しくなります」といった声です。
ここで言う“風化”とは、記憶や印象が月日とともに薄れていくことを言いますが、それは単に“忘れること”を意味するのではありません。大勢の人が犠牲になったという事実、震災から得た教訓などの“忘れてはいけないものを忘れること”を意味します。
震災の教訓を伝えたい
被災者の多くは、被災地域以外からやって来た若者たちに対し、震災の教訓を伝えたいという想いを持っています。
「食料の備蓄は、本当に大切だよ」
「車のガソリンは、半分以下になったら給油する癖をつけたらいいよ」
「寝室の家具は、転倒防止グッズで固定すると安心だ」
「地元の防災訓練には、できるだけ参加した方がいいよ」
「普段の何気ない日常生活は、実は尊いことなんだよ」
こうしたことを身に染みて感じた人たちの言葉には重みがあります。UPeace メンバーたちも、被災者の生の話を聞きながら、多くのことを学んできました。
震災から5 年、いま大切なこと
震災を単に忘れないというだけではなく、震災を通して一人ひとりが学んだことを人生に役立てることで、被災者の犠牲を無駄にしないことが大切だと思います。
東日本大震災から5 年が経つこのとき、静かに振り返ってみてはいかがでしょうか。