文妍娥様のメッセージ

真のお父様の生涯の願いを果たす一念で歩まれる真のお母様

このメッセージは8月15日、新宿教会で行われた「国際祝福家庭の集い」で、文妍娥様が語られた内容を翻訳し、要約したものです。

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 皆さん、お会いできて本当に感謝です。25年前に孝進様がこの新宿教会を初めて聖別して下さった時の写真を見たのですが、こんなに歳月が経ったんだと思いました。

 孝進様は2008年に聖和されました。生前、私が孝進様と夫婦でいられた期間は10年にも満たないのですが、孝進様はいつも音楽活動に心血を注いでおられたため、9年間の多くを、子供たちと過ごしました。今、振り返って見た時、私たちが夫婦で過ごすことができたのは、ほんの数ヵ月くらいなのかも知れません。

 それでも、孝進様がどんな気持ちで取り組んでこられたかを深く感じてきました。孝進様はよく「真の父母様のみ旨をお手伝いしたい。音楽と文化とメディアを通じて、天のみ旨を果たすのに役に立ちたい」と言っておられました。

 私は文化も芸術もよく分かりません。でも、孝進様が果たされたかった願いを叶えて差し上げたい。それが私の息子であれ、二世であれ、世の中の人であれ、孝進様の願いを果たそうという人がいるなら、全面的に支えたい気持ちがあります。孝進様の聖和から7 年過ぎた今も、その情熱は消えていません。9年間しか共にいなかった私ですら、そうした思いを抱いているのに、お母様はどれくらいの思いでしょうか。

 50年という長き歳月を、お母様は常にお父様の傍らで支えてこられました。お父様が嬉しい時も、悲しい時も、苦しい時も、常に思いを共にしてこられたのです。考えれば、お母様に休息などなかったに違いありません。そのようなお母様が、どうしてお父様のみ旨をお忘れになるでしょうか。どんなことがあってもみ旨を果たそうとされたお父様のお姿、お父様の思いをお分かりにならないはずがないのです。

 なぜお母様は今もなお、前進しようとされるのか。真の父母の使命は終わり、今後は子女の責任時代だと言われてから久しいのです。では、何のために? 結局は「父母だから」という答えしか思いつきません。天の国ができていないのに、み旨が果たされていないのに、どうして楽に休んでられるでしょうか。

 お母様はお父様の聖和後も、とても厳しい道を歩まれました。どうしてそうされるのだろうとも思いました。孝進様の聖和以降、私は子供の前で悲しみを表現しませんでした。長男もアッパ(父親)が亡くなってから4年間、私の前でアッパの話をしなかったのです。彼は一番アッパと長く過ごしましたし、アッパから愛された子でした。私がある時、「アッパのこと、思い出したりしないの」と聞くと、「アッパのことを思い出すと心が痛い」と言いました。そうした辛い気持ちを抱いている子供を見ながら、親は一緒に悲しんでいることはできないと思いました。

 お父様の生涯の願いは、天の国を築いて一日でもそこで住みたいというものでした。「VISION 2020」をお母様がすべてを投入して成そうとされるのは、それがお父様の生涯の願いだからです。

 お母様は多くを語られません。全体の助けにならないことは語られないのです。そんなお母様が聖和100日の時、人前でたくさん泣かれ、「今日はお父様がとても悲しんでおられます」と言われました。イエス様が再臨されなければならなかった理由は、地上で新婦を迎えることができなかったからです。真の母を探し立てるために、イエス様は「また来る」と言われたのです。

 私はお母様が誰かを批判したり、非難する言葉を聞いたことがありません。なぜそうされるのか。親だからです。親が子に残す最後の遺言があるとすれば、立派な兄弟には、幼い兄弟を守り、導きなさいということです。

 お母様は「共に行こう。許し、愛して、一つになろう」と、親の心が分かる子女を立て、皆が一緒に行こうとされるしかないのです。真の父母様にとっては、祝福家庭であれ、70億人類であれ、同じ子女なのだということを最近になって感じるようになりました。だから、救われない子女たちがいることを知っていて、気が休まる日はないのです。

 お母様が皆さんにお伝えになりたいことがあるとすれば、「苦労させてすまない。でも、最後まで止まることができない。み旨を知っている者として、『天一国』を完成するまで一緒に進んで行こう」ということだと思います。

 私達は食口(家族)ですから、死んでも一緒に死に、生きても一緒に生きていきましょう。
 お母様の心を皆さんが憶えていただき、お母さんとお父さんの心で、幼い後輩たち、弟や妹、子女たちをよく育てて下さるようにお願いします。