「人々をひたすら愛し、投入し、教育に専念する日々」
天暦閏月9月3日(陽暦10月26日)、韓国・清心平和ワールドセンターで「Vision2020 勝利! 神氏族的メシヤ使命完遂のための世界連合礼拝」が、約2万人が参加して盛大に挙行されました。ここで、430家庭を祝福に導いたタイのドクター・レック家庭とフィリピンのフランシス・ロペス家庭の模範的な伝道活動が称賛されましたが、今回は韓国の「トゥルー・ピース・マガジン」に掲載されたロペス家庭の証しを以下に紹介します。
2010年と2011年、全祝福家庭に「神氏族的メシヤの使命を完遂せよ」という真の父母様のご指示があった後、龍鄭植アジア大陸会長は全ての祝福家庭に神氏族的メシヤの活動を行うよう勧めました。2011年、夫と私はこの使命を完遂すると決意しました。当時、私は週末毎に、マニラ市郊外のアンティポロ市で教会活動と共に小規模のビジネスをし、夫は国際平和リーダーシップ大学(International Peace Leadership College)で講義をしていました。私はビジネスを後回しにして、神氏族的メシヤの使命に集中。2013年にケソン市のアラネタコロセウムで開催された「超宗教平和祝福フェスティバル」に参加者を動員するための活動を行いました。
私たち夫婦は、アンティポロ市で二人の娘と暮らしています。私たち以外にも祝福家庭がアンティポロ市で活動していることを知り、私たちは他のメンバーが行きたがらない地域に行くことにしました。隣接するマリキナ市から来た2家庭と三位基台を組みました。最初のチームが来た時、私たち3家庭は既に活動をしていました。私たちも、そのチームに加わり活動を始めましたが、地方公務員とバランガイ(地方自治で、地区を意味するフィリピン語)の責任者らが好意を寄せるまでは、何の支援も受けられませんでした。
毎朝、私たち夫婦は、家で訓読会と祈祷の精誠を捧げ、毎日2時間ずつ寄付金集めをして、氏族が住んでいる地域に通う交通費を賄まかないました。他の神氏族的メシヤは活動地域に行くことができないため、時々私たちが行って活動しながら、交通費を支援してもらいました。夫は平日、大学で教えているため、私一人で活動することがほとんどでした。多くの困難を経験しましたが、他の神氏族的メシヤが手助けして下さいました。週末、夫は私たちと活動を共にし、原理講義をしました。
実践条件
私たち夫婦が立てた条件は、毎日2、3時間の伝道活動と、マニラ東の郊外に位置するアンティポロ市の「イナレスセンター」、ケソン市の「スマートアラネタスタジアム」で開催された「超宗教平和祝福式」に参加した家庭を訪問することでした。祝福式の後、私たちは、バランガイのホールまたは祝福式に参加した夫婦の家で蕩減棒儀式を行いました。当時は私たちのセンターがなかったため、時々祝福家庭の家で寝泊りをしました。三日行事をするにはあまりにも汚い家もあり、彼らを祝福家庭として神様の前により相応しい立場に立てるため、行事をする夫婦の家を綺麗に聖別する方法を模索したりもしました。
毎日、神氏族的メシヤとして活動地域に通うことは簡単ではありませんが、活動を継続しました。マリキナ市の活動地域では洪水が頻繁に起こるため、いつも私たちのチームは、そこに住む祝福家庭の家に行き手伝いました。私たちの決心は揺らがず、龍鄭植大陸会長とジュリアス・マリクデム協会長からの激励を受けながら頑張りました。動員期間は、協会から財政面の支援を受け、私たちの地域の祝福家庭であるステファン・コンスタンス・ギャップ家庭からも援助を受けました。この家庭は私たちにとって他の面においても力の源でした。夫はグループで講義をしました。夫がブロック毎に訪ねて講義をし、私は補佐役となりました。遠隔講義をする時は、私たちの娘も手伝ってくれました。
時には、何故三日行事を行わなければならないのか、理解できない夫婦がいましたが、私たちの祈祷と分かりやすい説明、そして彼らに対する精誠の甲斐があって、無事に三日行事を行えたのかもしれません。ある時は家の掃除を手伝いながら親しくしたりもしました。お陰で上記のような家庭も私たちの導きを信じ付いて来てくれました。ある夫婦は祝福式に参席した後、蕩減棒行事と40日聖別期間を経た家庭を見て復興し、三日行事を行ったりもしました。40日聖別期間に、いくつもの家庭が精誠を立てる最中に邪魔が入り、幾度も聖別期間が延長される場合もありました。私たちはずっと祝福式以降の状況を把握し、三日行事を終え、教会活動に積極的に参加する家庭に支援をお願いしたりしました。実際に新規祝福家庭のうち何家庭かが三日行事の場所として自分の家を提供してくれました。
(後編につづく)