日本の1億3千万人に真の父母様を伝えよう!
2月3日午前10時から、大阪教会(大阪市)で「大阪聖地決定50周年記念集会」が開催され、第9地区の食口約800人が参加しました。
記念集会は、最初に岸和田教会聖歌隊が、「園の歌」と大阪で作られたとされる「涙の歴史」を披露。続いて、9地区韓国婦人会が、真のお父様のお好きな「故郷無情」と「蔚山アリラン」を歌い、開会の雰囲気を盛り上げました。
敬拝、家庭盟誓の後、1965年1月28日、東京での集会の時に真のお父様が祈祷された音声が字幕とともに流されると、多くの参加者が涙ながらに聞き入りました。
代表報告祈祷に続き、61年6月に増田勝先生(777双)が最初の大阪開拓伝道を始めて以降、65年2月3日に真のお父様が大阪に聖地を決定されるまでの経緯が報告されました。
次に、65年以前に入会した先輩食口4人と、早朝聖地祈祷を23年間行った食口及び50周年までに1000日間続けた食口がそれぞれ表彰を受けました。
その後、朱鎭台地区長が主催者挨拶。「増田先生が大阪の地にみ旨の種を蒔いて下さってから50年、今では5つの教区と20の教会においてたくさんの食口たちが天地人真の父母様に侍り、天一国創建の為に歩んでいます」と述べ、心からのねぎらいの言葉を贈りました。
また、就任以来、夫婦で毎日聖地祈祷の精誠を尽くしてきた朱鎭台地区長は、50周年を記念する朝の聖地祈祷の際、そこに集った青年二世メンバーをはじめとする食口たちに向けて、「今日から始まる次の50年、聖地決定100周年に向かって走っていきましょう!」と激励してきたことを紹介。その上で、「2020年、真のお父様ご聖誕100年を迎える時、世界人類の中で真の父母を知らない人がいないように、天は私たちに『神氏族的メシヤ』という称号を下さいました。2015年から5年間、1億3千万人の日本人が真の父母様に侍り、母の国としての責任を果たすよう私たちが努力しなければなりません」と強調しました。
最後に、朱鎭台地区長は「今朝の聖地祈祷の際、全食口に『聖土』を配り、自分の家庭が聖なる地であると宣布しながら、『家庭教会』を拠点として神氏族的メシヤの使命を果たせるよう許諾して下さいと祈ってきました」と語り、神氏族的メシヤ活動を本格化させていく考えを明らかにしました。
続いて、今回のメインスピーカーである増田勝先生が登壇し、記念講演を行いました。
まず増田先生は、ご自身が15歳でクリスチャンとして洗礼を受けるまでの経緯を紹介。その上で、「『聖書の知識を学ぶことがクリスチャンになることではなくて、キリストの愛をもって兄弟姉妹として生活するのがクリスチャンである』と言われました。そのみ言を慕って、泥だらけの足になって畑の中の教会に行ってみると、『足を洗いましょう』と言って、見ず知らずの女性が私の足にバケツの水をかけながら素手で洗ってくれたのです。私がどれほど感動したのか分かりますか? 私の心の中に奇跡が起きたのです」と語りました。
また、日本統一教会で最初の礼拝が行われた「雄鶏舎」(東京都新宿区)を拠点としていた1959年、崔奉春宣教師によって伝道された証しのほか、65年1月28日に東京で真のお父様をお迎えした時の様子を昨日のことのように語りました。
「ある女性が『イエス様はどのようなお方ですか?』と真のお父様に質問をしました。その質問を聞かれた瞬間、お父様は下を向かれました。シーンとした雰囲気の中、畳にボタボタと音がしました。お父様は泣かれていました。お父様は涙をためた目を上に向けながら、『あの男はかわいそうな男だった』と語られたのです。この言葉を聞きながら、お父様はこの一言でイエス様の全てを語ってくださったと実感しました。私はこの方こそイエス様が再臨されたメシヤであると確信しました」
増田先生は、このお父様のご様子を語る際には涙で声を詰まらせていました。
最後に、雄鶏舎時代(59年7月~60年4月)の礼拝のエピソードを紹介。「雄鶏舎で礼拝を捧げていた当時、出席者はたったの7人でした。その時、西川先生との会話で忘れられないものがあります。私は来られた方のために座布団を用意する役目だったのですが、前日は7人だったので、私は座布団を7枚用意したところ、西川先生は、『増田君、昨日も7枚だから今日も7枚ですか。なぜ8枚目を用意しようという心がないのでしょうか。神の国はいつ来るのでしょうね? 君が恨めしい』と言われたのです。これがまだ若い、未熟な青年に向かって語られた言葉でした。神様のみ旨には信仰歴などは関係ありません。教会に来た時がその人にとってのスタート、永遠に向かうスタートなのです」と述べ、涙をぬぐいました。
講演後、近畿圏へのみ言伝播の礎を築いた増田勝先生に対し、朱鎭台地区長が感謝状を贈呈しました。
さらに、9地区の神氏族的メシヤとなる全食口に対し、「聖土」として大阪聖地の土が少量ずつ伝授され、それぞれの家庭を50周年を迎えた聖地と連結し、これからの50年、聖地決定100周年に向かおうと皆で決意をしました。
第二部として、教会責任者と全代表区域長が参加し、記念午餐会が開かれました。
1964年に入会した坂口松三郎氏の音頭による乾杯に始まり、聖地祈祷を続け表彰を受けた食口2人による挨拶の後、代表区域長3人が証しを披露。最後に、松倉慎二東大阪教区長の力強い億万歳でもって全ての行事を終えました。