ボリビア宣教師 佐川誠一郎
佐川誠一郎さん(777 双)は、1996 年8 月、韓国の天宙清平修錬苑で、真のお父様からボリビア宣教のミッションを拝命。
翌97 年1 月、妻の春枝さんとふたりで希望に燃えてボリビア・コチャバンバ市に降り立ちました。そんな佐川さん夫妻を、予想もしなかった試練が立て続けに襲います。韓国、チリ人の責任者が相次いで帰国。サンタクルス市では、教会の建物をだまし取られそうになる事件が起き、裁判に。2002 年の大統領選挙の時期には、全く身に覚えのない誹謗中傷が広がり、教会がマスコミによって全国で批判を浴びることに。この謀略的な報道で教会のイメージは最悪のものとなり、2 年間は伝道ができなくなったそうです。
2004 年3 月にようやく再度決心し、大学伝道に取り組みました。
「毎日ボリビア人メンバーとキャンパスに行き、ついに、有望な対象者2 人に出会うことができました。主の路程は、私がスペイン語で直接講義し、脇でボリビア人メンバーが、言葉が足りない部分を補足してくれました。私は受講者のために断食、敬礼の蕩減条件を立てました。その一人、メルビーさんは献身的に歩むことを決意してくれたのです」
2005 年には、一人で大学内での40 日伝道を始めました。雨の中、傘も差さずにビラを配り、一人も立ち止まってもらえないまま4 時間キャンパスに立っていることもありましたが、「この間、天宙復帰のために単身苦労なさっている真の父母様のご心情に触れる経験が何度もあった」と言います。
40 日伝道路程が終わると、今度は教会の全員に呼び掛け、食事当番も、育児中の主婦も、とにかく気が狂ったように伝道しようと第2 次40 日伝道路程を組みました。これが奇跡を生みました。たくさんの人が伝道されてきたのです。
「キャンパスで声を掛けると、うそのように簡単に連れてくることができました。ちょうど、大学から教会まで霊的に通路ができていて、そこに対象者を乗せてやると、あとは自動的に運ばれていき、『原理』を受講し復活していくという、まれな体験でした。狭い伝道所はいつも満員で、通路では、講義の順番を数人が待っていました。このとき復帰されたメンバーが現在のボリビア教会の中核となっています」
この年の9 月、「天宙平和連合(UPF)創設120 か都市世界巡回講演」ツアーで、真の父母様がボリビアにも来られるというビッグニュースが飛び込んできました。佐川さんは語ります。
「霊界はこのことを前もって知って、できるだけ多くのボリビア人を主に会わせるように私たちを通じて、働き掛けていたのです。私たちは真の父母様に心から感謝の祈祷をささげました」
ボリビアは南米最貧国の一つ。親から1 日1 食しか与えられず成長してきたメンバーたちも珍しくありません。しかし、彼らは自分が飢えることより、もっと神を愛せるかと自分の限界に挑戦するようにたくましくなっていきました。
現地に赴任した1997 年当時、10 人弱だったボリビア人実践メンバーは現在300 人にまで増えています。